遊廓跡地を訪ねて 番外編 名古屋市南区観音町
道徳のむかしをたずねて
2000年に地元の道徳小学校PTAが刊行した「道徳のむかしをたずねて」という本には以下の記述があります。
戦後、観音町の方にパンパン屋が何軒かできた。泉楽通のここに4~5軒あった。昔の警察の寮の場所もパンパン屋があった。進駐軍が遊びに来たと思う。パンパン屋は今で言う遊郭であった。港の方に幸楽園と名前を変えて行ったと思う。パンパン屋の名前は覚えていない。1軒の中に小さい部屋がいくつかあった。終戦当時にすぐできたと思う。終戦後にぎやかになった。ここの遊郭の女の人の病院のようなものがあった。人間の修理所があった。病院ではなかった。遊郭の人が病気になった時に行ったと思う。
この記述は地元の老人の談話によるもので、かつて遊里だったのは間違いなさそうです。
廓内に入る斜めの路地
廓内は完全に住宅街
単に古い家でした
こちらも廓内に入る斜めの路地
ぬこがお出迎え
銭湯が一軒ありましたが、綺麗に改装されていました。
廓内のメインストリート
どことなく妓楼跡に見えなくはない建物。
廓内の南東の端
やはり住宅街
メインストリートの北端から南側を望む
泉楽通へ
観音町から外れ、お隣の泉楽通へ。
泉楽通の由来はこの地にかつて「泉楽園」という今でいうスーパー銭湯のような娯楽施設があり、そこから来ているとか。
泉楽園についても先ほどの
に詳しく記述されています。
こちらは……無関係かな?
スナックが一軒
風格のある建物
遺構に見えるような見えないような……。
完全に住宅地と化して遊里の面影は一切ありませんでした。
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