遊廓跡地を訪ねて 番外編 名古屋市南区観音町

遊郭・赤線跡地の見学を趣味にしていると、地図を見るだけで、その独特な区分けについつい「ここは昔そのような土地だったのでは?」と反応してしまうことがあります。

遊郭・赤線跡地の区分け

稲永遊郭

1912年に熱田遊郭から移転した稲永遊郭(現在の名古屋市港区錦町)の跡地は当時の区画がそのまま残っています。(下図参照)

一部例外はあるものの、このように碁盤の目のような造りになっているのが遊郭・赤線地区の特徴です。

ちなみに稲永遊郭は「愛知県統計書」によると、貸座敷14軒・娼妓91人という規模で、戦災による被害で壊滅し、戦後港陽園

へ移転した経緯があります。

名楽園(中村遊郭)

名古屋の遊郭跡地といえば名楽園。

名楽園も碁盤目状の区画ですが、さらに四方に斜めの路地があり、廓の中が見えないような造りになっています。

観音町

名古屋市南区観音町は上記の名楽園と全く同じ区画の造りになっています。
しかも左右対称で名楽園よりも美しい区画!
これは何かあるに違いない!!

道徳観音山

観音町という名前は、1932年、コンクリートで造った上に土を被せた人工の山が築かれて、山頂に高さ約2メートルの観音像置かれ、道徳観音山と命名されたことに由来しています。

山は展望台にもなっており、伊勢湾を眺望する事が出来たため、春と秋には子供たちの遠足で賑わい、また夜になるとカップルが集まるいわゆるデートコースとなり、山には高さ10メートルの滝が配されて、その下に子供たちが遊べるプールが設置。さらに山の中は名古屋初の屋内型スケートリンクとなっていました。

この辺りの経緯については以下のサイトに写真付きで詳しく記述されています。

遊廓に泊まる (とんぼの本)
Posted at 2019.1.13
関根 虎洸
新潮社
販売価格 ¥1,420(2019年1月13日13時25分時点の価格)