遊廓跡地を訪ねて 圓福荘
目次
圓福荘とは
圓福荘は愛知県豊川市豊川町遠通辺りにありましたが、手元には詳細な資料は無く、成り立ち等は不明です。
しかし、伊那街道の宿場町ですぐ近くに日本三大稲荷の1つの豊川稲荷があり、元々人が集まりやすい場所だったということと、当時東洋随一と言われた豊川海軍工廠があり、兵士の慰安所を兼ねていたのかもしれません。
現在は遺構が2棟だけが残されています。
先ほどの妓楼跡の反対側、増築された部分です。
上の写真の増築された部分を逆側から。
もう1つの遺構。
綺麗にリフォームされているため、遊里の跡地と知らなければ気づかないかもしれません。
どちらの建物にも以前は「圓福荘」と書かれた柱が立っていたのですが、撤去されてしまったようです。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません