遊廓跡地を訪ねて 福原遊廓
1868年に福原遊郭が開業し、福原京にちなんで福原遊郭と命名されました。
1870年に鉄道の開通計画で福原遊郭を線路が通ることになったため、1871年に全ての妓楼が旧湊川堤の東の新福原に移転しました。
戦後、赤線として復活し、売春防止法施行後は西日本屈指の特殊浴場街として存在しています。
遊廓建築、赤線時代のカフェー建築等はほとんど残っていませんが、路地に入ると転業と思われる旅館等があり、神戸へ行ったついでに撮影してきました。
メイン通りの桜筋のゲート。
もう一つのメイン通りの柳筋のゲート。
カフェーっぽい雰囲気の残る建物。
妓楼を改築したような雰囲気の建物。
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