遊廓跡地を訪ねて 栄橋遊廓・龍神遊廓
南海堺駅から近くの龍神橋及び栄橋の遊廓跡地の見学へ行きました。
成り立ちとしては1842年、遊里が整理され遊郭が誕生し、「全国遊郭案内」によれば、龍神遊郭が「貸座敷数10軒、娼妓約100名」、栄橋遊郭が「妓楼60軒、娼妓約540人」という規模だったようです。
堺は空襲の被害に遭い、戦前の遺構は皆無で戦後は赤線として営業するも売春防止法施行により廃止となりました。
竜神橋町にあるカフェーっぽい建物。
Google ストリートビューでの予習で南海の高架沿いに妓楼跡があったのですが、ここ1年位で解体されていました。
改めてGoogle ストリートビューを見てみると角度によって妓楼跡が残っていたり、解体中だったりとしていました。
上の写真はGoogle ストリートビュー上に残っている妓楼跡。
南海の高架橋の反対に移動します。
飲み屋が連なる長屋。
唯一、明確に遺構とわかるのが竜神橋町2丁目のこの建物。
入口の豆タイルが綺麗です。
側面には「いずみ荘」と書いてあり、転業旅館か転業アパートでしょうか?
駅前からすぐということもあり、遺構はゼロではないものの、再開発で限りなく少ない栄橋遊廓・龍神遊廓跡地でした。
2018年4月1日追記
堺魚市場にある天ぷら店「大吉」
へ行った際、龍神遊廓跡地近くの神社の写真を撮ってきました。
神明神社。
丁寧に参拝の作法が掲示してあります。
その奥には稲荷神社があります。
その横の玉垣にはこの地が間違いなく龍神遊廓だった証拠が残っていました。
玉垣には個人の名前に混じって、当時の屋号が残っています。
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