遊廓跡地を訪ねて 洲本遊廓
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が最初にお生みになられた淡路島。
この淡路島にも遊廓が存在しました。
場所は洲本市海岸通、明治12年に遊廓が形成され日本遊廓案内によると貸座敷約19軒、娼妓は約100人とのこと。
いざ、淡路島へ
堺市の「大吉」
で天ぷらを食べた後、
新今宮でJRに乗り換え、舞子で下車し高速バスに乗り換えです。
JR舞子駅を出てから案内に従ってひたすら上に行きます。
さらに上。
淡路島方面行きのバス停の様子。
バス停に着くと凄い行列で圧倒されました。
高速バスはたったままの乗車はできないはず。
満席になったら乗車できないのでどうしよう……と思いながら行儀良く並んでいたらバスが到着。
係の人が大きな声でアナウンスしていますがイマイチ聞き取れません。
そして、人が乗る気配も無し。
「???」と思っていたらようやく声が聞き取れました。
「洲本行きに乗車の方はいませんか?」と言っていました。
謎がようやく解決。
列は1つでも行き先が複数あるため、自分の行き先のバスが来たら列はらはみだして乗らないといけないのです。
危ない危ない、危うくせっかく定刻通りに来たバスを見逃すところでした。
淡路島へ到着 遊廓跡地へ
終点の洲本バスセンターを下車すると目と鼻の先が目的地の海岸通です。
ここがかつてのメインストリートだった場所。
妓楼らしい妓楼はほとんど無くなってしまったようです。
当時の建物と思いたい、貴重な物件。
旅館小柳。
転業旅館でしょうか?
どことなく妓楼っぽい雰囲気が残っています。
今にも崩れてしまいそうな建物ですが、無関係でしょうか?
[mappress mapid=”8″]
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません