遊廓跡地を訪ねて 神崎新地(戸ノ内新地)

2018年3月17日

昭和20年代、尼崎市内に非公認の所謂「青線」が出現し、それぞれ

  • 難波〔なにわ〕新天地
  • 難波新地
  • パーク街(神田南通)
  • 浮世小路(竹谷〔たけや〕町)

と呼ばれました。

これらは市内中心部で住宅地や学校にも近いことから問題となり、昭和30年に多くの業者が初島新地と神崎新地(戸ノ内)に移転します。

しかし、元の場所で営業を続ける業者もあり、そのうちのパーク街が現在の「かんなみ新地」

になります。

初島新地と神崎新地は共に1958年の売春防止法施行後も営業を続けましたが、初島新地は大阪万博前に摘発により壊滅、摘発を逃れた神崎新地はその後も営業を継続。

しかし、1995年の阪神大震災による建物の崩壊などで廃業、自然消滅しました。

震災の影響で無くなったものの、遺構がそこそこあるという話を聞き、青春18きっぷを使い見学に行ってきました。

地図上ではJR東西線加島駅が最寄りの駅だったので加島駅から約20分かけて歩きました。

工場の間のかなり狭い路地を通り、モスリン橋を渡ります。

モスリン橋の名前の由来は、この橋は元々この地にあった「毛斯倫株式会社」が掛けた橋だったようです。

橋を渡って戸ノ内に入るとバス停があり、JR尼崎駅や阪神尼崎駅、阪急園田駅などからバスでここへ行けたようです。

カフェーではなく、純喫茶のようですが、建物としては遺構にしか見えません。

そこそこ遺構は残っているものの、町工場が立ち並ぶ地域になっていて、多くが工場や住宅に転用されていました。

すぐ近くには改良住宅もあり、訳ありな土地のようです。

遺構と同時に見ておきたかったのが、「神崎新地」と書かれた石碑のある神社。
探し回ったものの、バスが到着する時間になり、タイムアップ。

2018年3月17日追記

「神崎新地」と書かれた石碑のある神社の撮影に行ってきました。

前回は、JR加島駅から歩きましたが、勝手知ったるなんとかで、JR尼崎駅から阪神バスに乗り戸ノ内で下車。

モスリン橋交番を超え、

ガソリンスタンドがある交差点を左折。

ガソリンスタンドのすぐ隣に稲荷神社がありました。

「神崎新地」の石碑もまだ残っていました。

神社の隣にも遺構らしき建物が残っています。

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