遊廓跡地を訪ねて 神崎新地(戸ノ内新地)
昭和20年代、尼崎市内に非公認の所謂「青線」が出現し、それぞれ
- 難波〔なにわ〕新天地
- 難波新地
- パーク街(神田南通)
- 浮世小路(竹谷〔たけや〕町)
と呼ばれました。
これらは市内中心部で住宅地や学校にも近いことから問題となり、昭和30年に多くの業者が初島新地と神崎新地(戸ノ内)に移転します。
しかし、元の場所で営業を続ける業者もあり、そのうちのパーク街が現在の「かんなみ新地」
になります。
初島新地と神崎新地は共に1958年の売春防止法施行後も営業を続けましたが、初島新地は大阪万博前に摘発により壊滅、摘発を逃れた神崎新地はその後も営業を継続。
しかし、1995年の阪神大震災による建物の崩壊などで廃業、自然消滅しました。
震災の影響で無くなったものの、遺構がそこそこあるという話を聞き、青春18きっぷを使い見学に行ってきました。
地図上ではJR東西線加島駅が最寄りの駅だったので加島駅から約20分かけて歩きました。
工場の間のかなり狭い路地を通り、モスリン橋を渡ります。
モスリン橋の名前の由来は、この橋は元々この地にあった「毛斯倫株式会社」が掛けた橋だったようです。
橋を渡って戸ノ内に入るとバス停があり、JR尼崎駅や阪神尼崎駅、阪急園田駅などからバスでここへ行けたようです。
カフェーではなく、純喫茶のようですが、建物としては遺構にしか見えません。
そこそこ遺構は残っているものの、町工場が立ち並ぶ地域になっていて、多くが工場や住宅に転用されていました。
すぐ近くには改良住宅もあり、訳ありな土地のようです。
遺構と同時に見ておきたかったのが、「神崎新地」と書かれた石碑のある神社。
探し回ったものの、バスが到着する時間になり、タイムアップ。
2018年3月17日追記
「神崎新地」と書かれた石碑のある神社の撮影に行ってきました。
前回は、JR加島駅から歩きましたが、勝手知ったるなんとかで、JR尼崎駅から阪神バスに乗り戸ノ内で下車。
モスリン橋交番を超え、
ガソリンスタンドがある交差点を左折。
ガソリンスタンドのすぐ隣に稲荷神社がありました。
「神崎新地」の石碑もまだ残っていました。
神社の隣にも遺構らしき建物が残っています。
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ディスカッション
コメント一覧
壊滅前に行ったことがあります。
4人で行って3人が順番待ちで、みんな終わって
「どんな娘だった?」で話していると
どうも同じ人で大笑いして帰りました。
娘と書きましたがおばちゃんでした。
貴重な現役時代の情報ありがとうございます。
神崎新地は飛田のように顔見せは無いシステムだったのでしょうか?
飛田やかんなみはレベルが高いという印象ですが、神崎新地は滝井並みのレベルだったんですね。
かんなみもレベルが上がったのは最近で以前はおばちゃんばかりだったという話も聞きますし。
「神崎新地」の神社の場所、違いますよ。
モスリン橋を渡って、ガソリンスタンドの交差点を左折した所です。
コメントありがとうございます。
Googleストリートビューで確認したところ、おっしゃる通りガソリンスタンドを左折したところにありました。
以前、ストリートビューで場所を確認してから記事をUPしたのですが、あれは一体何だったのでしょう……