時を経ても許せないこと

2015年5月24日

先日、ニュースで文化勲章の受賞のニュースをやっていました。ノーベル物理学賞を受賞した大学教授が選ばれました。11月になれば紫綬褒章の発表もあります。
あいつはどうなんだ?何か受賞したことはあるのか?と私の大学時代の担当教員の顔が浮かびました。
担当教員の名前でGoogleで検索すると、昨年の11月に亡くなったようです。
死因はどのサイトにも詳しく書いてありませんが、晩年悪性リンパ腫の治療をしていたり、末期ガン(悪性リンパ腫のことか?)だったようです。

このことを書くと知っている人が見れば私が誰だかわかってしまいますが、それを承知で記述すると、私は音楽大学在学中、この担当教員との確執で学科長、教務部長、学部長を巻き込んで開学以来の大問題を引き起こしました。
お互いに言い分はあると思うが、私はこうです。

  • 自分の方向性と一致するある程度のレベルに達した学生にはこと細かに指導するが、そのレベルに達しない学生には1回だけ通して歌わせて「下手」の一言で終わり、45分の声楽のレッスン時間のうち数分で終わってしまう。
  • 私が入学するかしないかの頃、自宅を改装し、自宅兼音楽ホールを造った。門下生の発表する機会を作る上で賛同できる部分もあるが、大学の研究室がその事務所になり、その運営のためレッスンが疎かになっている。
  • 「バーロ」(馬鹿野郎の意)などレッスン時の暴言が酷い。

他にもいろいろありますが、要約すると上の3点です。
要するに年間何百万もの学費を納めながら、まともに声楽のレッスンを受けることができないのです。
様々な発声の流派を研究し、発声の方向性に疑問を感じたことも相まって、我慢の限界に達した私は、レッスン中の様子を録音したテープ(隠し撮りをしたわけではなく、当時のレッスンは復習の意味もあり録音することが推奨された。また担当教員自身もドイツ留学時代のレッスンを録音したテープを門下生へ聞かせていた。)を持参し、大学側に担当教員の変更を申し出ました。

当時私が在籍していた大学はかなり保守的で、担当教員の変更は原則認められませんでしたが、私の置かれた状況を理解して下さり、「今回は特例で」と変更を許可する教務部長、学部長側と、認めない担当教員と学科長側で大きく対立しました。
一時は退学することも真剣に考えましたが、教務部長の「頼むから卒業だけはしてくれ」と懇願され、中退だけは思いとどまりました。
当時は自分のしたい研究ができないのなら大学にいる意味がないと思っていましたが、就職・社会人の経験を経て、「大学卒業」と「大学中退」ではその後の人生に与える影響の大きさを改めて知ることになり、「卒業」にこだわった教務部長には本当に感謝しています。

結局、担当教員の変更は認められず、かといって担当教員と和解・レッスンの改善はされず、最後の1年は無駄に過ごして大学だけは無事卒業しました。
私の卒業後、この一件のことがきっかけで大学の学則が変わり、担当教員の変更が認められたようです。
私が大学に残した唯一の成果。

大学卒業後、大学の図書館でのアルバイトを経て、中学校の音楽教師からサラリーマンになった現在も、この出来事を一日たりとも忘れたことはありません。
いつの日か何らかの分野で著名になり、見返してやろうとここまでやってきましたが、見果てぬ夢となってしまった。

大学を卒業してから20年の月日が経とうとしています。
その間にインターネットが身近な存在になり、当時入手することが困難だった情報が簡単に手に入るようになりました。
学生時代に感じた発声の方法性の疑問は、バス歌手の永田孝志氏の動画によって解決しました。

どんなに腹立たしく感じることも、時が解決することはよくあります。
私自身、高校3年の冬、第七頚椎圧迫骨折という重傷を負ったことがあり、通常ならば死亡、運が良くて半身不随です。
しかし幸い大きな後遺症も残らず、特に日常生活には不自由しない程度に回復しました。
加害者は同級生だが、一度見舞いに来たきりビビってしまい、二度と姿を現さなかった。
卒業式も私は入院先の病院から外出許可をもらい、直行直帰でまともに顔を合わしていない。
22年後の同窓会では、私と加害者と顔を合わせるととんでもない大乱闘が起こるのではないか?と心配をした方もみえたようだが、相手は私に恨みがあってやったわけではなく、私としても今現在特にこれといって何か感情を持っていません。

ほとんどの場合、その時は怒りで感情を抑えることができないような出来事があっても、時が解決してくれるだろう。

しかし、この大学教員との出来事は20年近く経った今でも忘れられず、憎悪な感情は無くならない。
遺族の方々には申し訳ないが、晩年病で苦しんだことも当然の報いとしか思えない。

この記事を読んで気分を害された方もいるかもしれない。
しかし、1つや2つどうしても許すことができないことがあってもいいのではないか?
人間は感情豊かな生き物なんだから・・・。

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